哲学はなんで抽象化をしないのだろう

 数学って抽象化、一般化の連続だと思うわけです。具体的な数字の計算から、変数を代入して、変数の次数や種類を増やして、二次元から三次元、さらに多次元でも適用できる概念を探求する。けどいきなり抽象化できないから、具体例を漁りながら最適なものを探していく。プログラミングでも同じことだと思う。

 数学と哲学って関係が深そうでまったくそんな気がする。僕は哲学というものをロボットがわかるようなところまでかみ砕く必要があると思う。

 例えば「人間は幸福になろうとする」

 という考えがあったとして、これを動物とかすべての生物に当てはめるならどうするだろうか考えて、

 「すべての生物はあるべき姿になろうとする」

 みたいな言い方ができるんじゃないかと考えたりする。植物に幸福になろうとする意志があるかわからないけど、あるべき姿(成長する、子孫を残す)を実現しようとするわけで、これが人間レベルなら「幸福になる」って言えるんじゃないかみたいな。で、「幸福になろうとする」の延長としてルールとか法律の成立を見ることができるわけで。何が人間にとって幸福であるかはほとんどの部分は共通で(ご飯を食べたい、寝たい、安心して暮らしたい)、その実現の実践としてルールがあると考える。

 こんな風に組み立てて既存のわけのわからない用語で埋められた哲学をもっとシンプルにまとめることができるんじゃないかと思ってる。いまの哲学はそれぞれの思想が対立したり協調したりして依存関係が意味不明すぎる気がするし、それぞれの主張もかなり属人的な部分が多かったりしてごちゃごちゃしてるような気がする。

 哲学ができる人にはそれがすごくきれいに整理されたツリーになってるのかもしれない。